2010年3月20日
過酷な不自由の狭間で
投げ出したい存在の約束
調子の狂った欲望に
無防備な庭は侵食された
平穏でいたい
アナタと
平穏は闘うことでしか得られない
私の
岐かれ道
項垂れない
惜しまない
慎みを遠ざけて
不合理を拒む
冬枯れの道を通り過ぎて
世界を穏やかに見晴らす
アナタの目の奥の清らかさを探り当てたい深夜
正義に焦がれるアナタと
正義の原理を証明しなければならない
私の
岐かれ道
2007年冬
投稿者 成田悦子 時刻: 19:27:00
2007年橋谷生け花教室の屋根の上の無線アンテナを経由した無線による私の自ら付けたのではない人工内耳への音声送信は本格化し、私は言葉の全てを文部科学省に奪われました。人工内耳及び体内の機器や電池等は札幌に住んでいた頃に始まったわけではなく、私の生まれた時から延々と増設され新設されアベノミクスによって本格化し、広範囲に自らの裸体まで晒し続けなければならない到底誰にも想像外の、当の私でさえ信じられないほどの毎日でした。2006年大相撲夏場所から今の形態を採ります。それはそれは苛酷な一瞬の連なりでした。

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